小説 昼下がり 第四話『晩秋の夕暮れ。其の一』



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『晩秋の夕暮れ。其の一』平原(ひらばる) 洋次郎
      (十七)
 十一月の中頃。啓一は朝刊を読み終える
と何のあてもなく身支度を始めた。
 外は冬に向けて深秋の様相を呈していた。
 川沿いに並び立つ桜並木も春の訪れを今
か今かと待ち侘びている。
ひと冬越さなければ、人の心を引きつけ
る満開の花びらは披露できない。
 春にはまだまだ遠い。
 秋といえども、朝十時の太陽の光はする
どい。部屋中に陽の光を灯(とも)す。
 「奥さん!ちょっと出かけてくる。夕方
までには帰ってきます」
 階下で洗いものをしている秋子の背中越
しに呼びかけた。
 「どこいくの?」
 洗いものの手を休め、笑みを浮かべた。
 「うん、銀座へ行ってみようと思う。帰
りに何か買ってきます」
 「今晩、ご飯は? 明日の月曜日は祭日だ
から、すき焼きパーティーでもしようかな、
と思ってー。たまたま、君ちゃんもロバー
トも山田さんも居るの。
 どう、啓ちゃんは?」
 「もちろん、いただきます。久し振りだ
ね。みんなと顔を合わせるのはー」

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 「それはそうと確か、妙子も今朝早く銀
座方面へ出かけて行ったけどー。もし遭(あ)
ったら連れて帰って。愚連隊(ぐれんたい)
に悪さされると困るからー。
 人畜無害の啓ちゃんだったら腕を組んで
帰ってきてもいいわよ、フフフ…」
 秋子はよほど機嫌がいいのか、冗談っぽ
くほほ笑んだ。
 「奥さん、私だって男だよ。悪魔の牙を
剥(む)くかも知れないよ」
 「でも啓ちゃん、あなた彼女いないんで
しょう。そういう台詞(せりふ)は女性の経
験を積んでから云うものよ。
 ところで、銀座の大香堂(だいこうどう)
を知っているでしょう。
 アクセサリーや指輪なんか売っている有
名なお店よ。その裏に「回転焼き」を売っ
ている小さなお店があるわ。
 確か五個、二百円だったと思う。帰りに
買ってきてー。二百円渡すわね」
 立て板に水の如く、一方的にしゃべる秋
子の言葉に、いつもながら酔いしれた。そ
して、酔いしれる自分に不思議さを覚えた。
       (十八)
 所沢緑町駅まで十五分の距離の川沿いを
歩いた。日曜日の今頃はいつもであれば、
簡易旅館から軽やかなメロディーが聴こえ
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るのだが、今日は静かだ。
 いつも聴く、いつも観る、いつも感じる
ものが静止した場合、何故か不安がよぎる。
人間が持つ本能の糸が切れたみたいで不安
が心配に変化する。
 啓一の心に、まだ見ぬ人への興味が大手
を振って闊歩(かっぽ)した。
 緑町駅から池袋まで、それから地下鉄で
銀座までの約一時間。小さな単行本を見開
きながら、車内での時を過ごした。
 日曜日のせいか、空席が目立つ。デッキ
の近くに立つ啓一は、通り過ぎる外の景色
と単行本を交互に見ながら、過ぎゆく時に
身を委ねた。
 池袋駅に着いた。大勢の人が行き交う。
機関銃のような声が交錯し、あわただしい
雰囲気が充満していた。
 地下鉄に乗り換え、銀座へと向かう。
 銀座駅の長い階段を上ると四丁目の和光
の時計台の前に出た。
 ブラブラとあてもなく歩く。観光客らし
き団体の一行がバスガイドの後について整
然と歩く姿がほほえましい。
 ガイドの持つカラフルな青い旗には大き
な文字で『青森』と書かれている。夜行列
車に揺られて、はるばる東京へー。夢の東
京見物で心が躍っていることだろう。

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